どこまで歩いたのだろう。既にそんな感覚は忘れてしまっていたようだ。
ただ漠然と白銀が広がり、距離も分からない。何もない。
白は自分がここに居るのも忘れてしまいそうなほど、白い。
しかし、自分を繋ぎ止めてくれるものがある。そう、隣でぽけーっと向こうを見ている黒である。
彼女と手を繋げば、何よりも強い黒が自分を助けてくれる。決して交わることのないその色が、私はここに居るのだと、言い聞かせてくれる。
自分も世界も白い中で、唯一の黒が、そうやって助けてくれた。
黒は時々白から握られる手に戸惑いながらも、精一杯に握り返した。黒には感じられないが、白の手は黒に比べて遥かに冷たい。黒はそれを少しでも温めようと、何より、自分も白によって与えられる存在感を確かめるように、強く手を握りしめた。
辺りは、ずっと白いのだ。黒は、独りだけ取り残された虚無感を捨てきれなかった。
隣には大好きな白ちゃんがいる。それだけではどうにもならないような寂しさが、一歩雪を踏むたびに黒を襲った。今私は、独りぼっちなのだと。
だから、時々握る手に、全ての体温を乗せた。自分が取り残されてしまわないように、大好きな白ちゃんと離れてしまわないために。
白はそれが分かってか分からずか、時折握られる手を、優しく撫でた。
「…っ」
黒の喉を、激しい吐き気が襲った。手が無意識に、首元と口に行く。
必死でこらえるのだが、どうにも苦しく、涙が溢れ出した。
白は心配する様子もなく、ただ頭を優しく撫でてくれた。
なんとか吐き出すのをこらえた黒は、得体の知れない不快感に負けて倒れてしまった。
「…うぇっ……」
辛そうにぐったりとなった黒を膝に抱え、白は優しく、額を撫でた。
それで少し落ち着いたのか、黒のひゅーひゅーといっていた息はだんだん戻って行った。
白には、急にこうなった察しがある程度は付いている。だから、あえて何もしない。
恐らくは、この真白な世界でたった一つの黒である自分に、計り知れない孤独感を覚えていたのだろう。
孤独は、まず寂しさを呼ぶ。次に悲しくなる。次第に苦しくなって、最後には死んでしまう。自分の居場所が無いというのは、とても辛いことだった。まだ幼いこの少女は、知らない間に自分を染め上げていった孤独に侵され、ついにそれが溢れ出してしまったのである。
しかし気丈にも彼女は、溢れ出しそうな物を止めた。恐らくは、私がいるから。
多分、私が消えてしまえば、まずこの子は私を探すでしょう。喉が引き裂かれるまで私の名前を叫び続けて、爪が剥げるまで土を掘り返して、足が千切れるまで走るでしょう。
しかし、私はどこにも居ない。それが分かれば、彼女は断じて、死ぬ。
私の後を追う。
「…大丈夫?苦しくない?」
あれから少したったが、ようやく白の口から不安な声が漏れた。
黒はそれだけで楽になれた。まだ少し残る吐き気を黙らせ、ゆっくりと起き上がる。
「うん、ありがとう」
そう強がって微笑んでみせると、白は安心したようだった。
「…この先には、何があるのかしら」
何もないのだとは思う。きっと何処まで行っても、この白は続く。
嫌になってきたのだ。この白が、あの白が。
「もう、要らないわ。白なんて」
「白ちゃん…?」
心配そうに見る黒に踵を返し、白は走り出した。
何もかもを突き抜けんとする勢いで、駆ける。しかし、いくら走ろうとも、白は終わらない。何もかもが白くて、白くて、白くて、白くて、白くて、白くて、白くて、しろくて、しろく、しろてしろてしてろしろて白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白



しろしろしろしろしろしろしろしろまっしろ。




あぁぁぁぁぁぁああ   あああぁぁぁああぁぁぁあぁ  ぁああ   あああああああああ



黒が追いついた頃には、白は変わり果てていた。さっきまでの悪戯で温かい白はどこへ消えたのか、今の白はただ絶望して、狂ってしまっていた。
白でない色は、黒目がちな瞳だけだった。消えていく、白。
「白ちゃん!!」
ありったけの力を込めて白を抱きしめる。しかし、白の絶叫は止まらない。
黒には、白が苦しんでいるということ以外はさっぱり分からなかった。しかし、白は叫んでいる今も、頭の中では冷静に自分がどういう状況なのか理解していた。
もう嫌だ。こんな世界に居るのなんて、もう耐えられない。
自分が白いのが、こんなに憎かったことはない。私は白くない。私は白くない。
わたしはしろくない。

「おぇえっ」
吐き出してしまったそれ。
黒は泣き出してしまった。四つん這いになった白の下に広がる、嘔吐物。
真っ赤な真っ赤な、それ。
雪が溶ける。
「…はっ…はぁあっ」
なんとか気を持ち、白は立ち上がった。深呼吸する。何度も何度も唾と血を飲み込む。
黒はへたへたと座り込んで、泣いている。
「…はぁ…」
吐き気がおさまり、白は黒に向いた。
両手で顔を覆って泣いている黒。
「大丈夫、大丈夫よ、もう」
また優しく抱いて、頭を優しく撫でてやった。
それでも黒は泣きやまず、白に縋りついた。
処理しようのない感情がどうしようもなく溢れてくる。
そのせいなのか、今度は黒が、吐き出した。
2度も3度も吐き出す。その度に不快な音をたてて飛沫が飛んだ。
黒の眼が朦朧とする。もはや言葉も出ず、まるで神に縋るかのように、力なく白の手に触れた。
体が、震えている。
「……うえぇ」
また吐き出した。白にはどうしようもできず、ただそれを見守っているだけだった。
ついに黒は、倒れてしまった。もはや何の力も残ってはいない。
ただ弱く伸ばされた手だけが、宙を掴んだ。
「…黒ちゃん」
どうしてこうなったんだろう。私が、急にあんなことをしてしまったからか。それとも、この世界が真白なのがいけないのか。さっきの紅茶に本当に何か入っていたのか。

ただ、こうなるだけだったのか。


白は、黒のことを、本当は何も知らない。
外見だけは分かる。あとは何も分からない。今もよく分かっていない。それは、彼女が「黒」だから。
どれくらい一緒に居るのかも分からない。何をするのかも分からない。
だけど、大好きだった。どうして一緒になれないのかと、毎晩考えていた。
答えは至極簡単なことだった。自分が「白」で、彼女が「黒」だから。
答えは最初から分かっている。だけど、それではどうしようもなく空しい。だからなんとか違う答えと確信を見つけようとしたのだが、結局見つからずじまいだった。
結局、白と黒は交われない。それだけなのか。
ただそう決まっているんだった。






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