たまにふと思ってみるのが、失恋した時の心情である。
生憎白はまだ失恋したことがないので解らない。黒も恐らくは知らないだろう。経験があったとしても、すぐに立ち直っていそうだ。
しかし複雑なものである。本で読む限りの知識しか持っていないから、踏み込んだこと――つまり感情までを移入したことは言えないのだが。
失恋してすぐ立ち直れば、軽い恋だったとか、遊びだったとか言われる。かといってずっと引き籠っていたら、早く立ち直れだとか、気にするなとか、挙句には新しい恋を始めろだとか言う。
どうすればいい?
時々、黒が堪らなく愛おしくなることがある。黒を見ているだけで、胸が張り裂けそうなほどに苦しくなる時がある。なんて三流の詩のような言葉で例えてみるけれど。
そんな感情が恋なんだ、そんなことにはとうの昔に気付いているつもりだ。
そして、私と黒とでは決して相容れないことも。
「はちじゅうに」
唐突に黒が呟く。
瞬間に白は何が八十二なのかを推測してみる。今まで踏んだ段差の数? それは絶対に違う。たった八十二段でこんな高いところまで上がってこれる訳がない。傾斜も大したことはないから、余計にだ。
では螺旋状のこの階段を今、何周したか。これも違う。先の推測と同じ理由に加え、一周するのが大体十から二十秒程度。掛けるの八十二で、八百二十から千六百四十秒。分に戻す。六十で割って、約十三から二十七分。時間的に違う。もう一時間は歩いていると思う。
では何だろう。枝毛の数? ただ数えているだけ?
「じゅうよん」
白は予想外の数字に首を傾げる。
八十二の次に十四とはどういうことだ。
「何を数えているの?」
白が問うと、黒はあーっと声をあげて、指を曲げたり伸ばしたりする。
「何だん上がったかをね、数えてたの」
あ、予想当たってたけど外れた。
しかしだ。
「可笑しいわね。たった八十二段や十四段で、こんなに高いところまで上がっては来られないと思うんだけど」
「そう。そうなの」
黒は疲れたように肩を落とす。
「だからね、百だんずつ数えてたの」
「あら。たまには賢いことをするのね」
「でも今、何だん数えたかわかんなくなっちゃった」
落胆の溜息を吐く。前に向きなおり、とぼとぼと進み始める。
白も、余りにあっさりな答えに少し落胆する。まあ黒らしいといえば黒らしい。
冷たい鍵盤のような段差を、二人の足が踏む。
「ところで段数を数えてどうするつもりだったの?」
白の問いに、黒は歩みを止めないまま振り向いた。髪の陰からちらと見える瞳は、期待に輝いていた。
「赤ちゃんたちに自慢するの!」
答えてまた前を向く。白は呆れて溜息を吐く。
そういえば恋のことを考えていたんだっけか。
今更どうでもよくなって、白はたった今踏んだ段から、数を数え始めた。
いち、に。




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