どれ位、何を話したのだろう。
何にも変わらないこの世界で、二人で座ってお喋りをしていた。
君のことや、僕のこと。砂のこと、空のこと。
話題になるようなものが何一つない世界で、二人のお喋りは続く。

あはは、とか。くす、とか。うんうん、とか。
どうでもいいことばかり話していた。そんなのがどうでもよくなくて。

いつの間にか、少年は女の子に惹かれ

いつの間にか、女の子は少年に惹かれ


だから、きっと。
一人ぼっちの神様は、彼女の瑠璃色に嫉妬したのかもしれない。



響く轟音。

―かみさまの、彼女の、少年の、悲鳴。



「そうです、一緒にお魚を頂きませんか?」
女の子が手を合わせて言う。なんとなしに頬を赤くしながら。
「え?魚なんてあるの?」
この砂だけの世界にそもそも食べるものがあるのか。それが不思議だった。
あ、と思って目の前の水溜りを見る少年。こんな世界に居るものの、魚は水に棲むものだという概念はあった。しかし、どうみてもこんな水溜りに居るわけがない。
それでも女の子は手を合わせたまま微笑んでいた。この笑顔には負けてしまう。
「えっと…まさか、コレ?」
苦笑いしながら水溜りを指差す。すると女の子は、当然のように頷いた。
この水溜りの何処から魚が出てくるのだろう。どう見たって雨上がりの水溜り位にしか見えない。
「お魚、いりませんか?」
顔を覗きこまれる少年。負けた。もう水溜りに魚がいるかなんていいや。
「うん、じゃあ頂くよ」
「そうですか、それじゃあ」
「え?」
また不思議な事。
魚を食べる、と言ったのに、女の子は立ち上がって、またさっきと同じように祈り始めた。
小さな声で何かを言っている。唇が微かだが動いているので判った。
それにしても、何を祈っているんだろう。宗教的なモノで食べる前に合掌したり神に祈ったりするのは判るが、まだ何にも目の前にはありはしない。

まさか、物乞いのようなものなのだろうか。
「ねえ、何してるのさ?」
不思議でたまらなくて、聞いてみる。まともな答えは返ってくるだろうか。
しかしあっさりと少女は答えた。
「祈っているんですよ、かみさまに」
さっきと同じだった。うんまあそうだろう。
「祈ってるって…いつ魚が出てくるの?」
それが気になる。別にお腹が空いている訳ではないが。
祈っている途中に話をするのもなんだろう。つまりを言うと、暇だった。

「うーん、あと何日か…」
答えはとんでもないものだった。魚を食べる為に何日も祈る?
考えられない。ずっとこうしているなんて。
「ずっとそうしているつもりなの?」
流石に不思議そうに、一種の疑いを持った眼で女の子を見る。
女の子は閉じていた眼をうっすらと開けた。少し大人びた顔。
何か絶えず呟いていた声も途絶えた。
「そうですよ。お魚はかみさまが下さる大切なものですから」
そういうとまた眼を閉じた。
少年にはそれがおかしく感じられた。何故、女の子がこんなに祈らなければならないのだろう。
かみさま、は一人だ。女の子も一人だし、水溜りも一つ。
ならば、みんな平等になるべきではないだろうか。どうして最初から、女の子がかみさまに祈る、そんな法則が成り立っている?
なんだか、かみさまは意地悪だと思った。

「ねえ、君は魚を食べたいの?」
少年が水溜りに映る二人の顔を見ながら聞いた。
少しも揺れないその水面に、晴れとも曇りとも言えない、空なのかどうかも判らないそれと、眼を閉じて祈っている女の子と、退屈そうな少年が少しだけ映っている。
水面に映った女の子の眼が開いた。
「いえ…今はそんなにお腹は空いていませんし、えと、貴方がお腹が空いたかな、と思いまして。折角のお客様なのに何もしないのも気になって…」
丁寧に答える女の子。こういう性格は好かれるだろう。現に少年は好いている。
少し祈りと会話が混じって曖昧になってきた。少年の言葉を待っているのだろう。
少年は遠慮気味に言った。
「いや、じゃあ僕も魚はいらないよ。そんなにお腹空いてないし。それに、君がずっと祈っていたら、話し相手が居なくて退屈なんだ」
「そう…ですか?」
そっと離れる女の子の右手と左手。眼も開いて、少年を見つめていた。
「じゃあ…今日はお祈り、お休みしてもいいかな」
初めて敬語で言わなかった女の子。独り言だろう。
少しためらいながらも女の子は少年の隣に腰を下ろした。彼女全体をより清楚に見せている丈の長いスカートがしわにならないように、丁寧に座った。膝を抱える。
「あの…本当に大丈夫でしょうか。お祈りしなくても…」
「大丈夫だよ。それに、もし駄目だったら、今度は二人で祈ろう」
優しく言った少年に、女の子は微笑み返す。二人とも顔を少し赤らめて。
そしてまた、さっきと同じように他愛ない話を始めた。
それは本当に楽しいことだった。
少なくとも、二人にとっては。


ひとりぼっちが居たのには気付く筈も無かった。






声が楽しそうに弾む。そんな声に混じって聞こえる音。
遠くから、大きな音が聞こえる。今までに聞いたことも無い位の、とても大きな音。
その音は、この世界をどんどん呑み込んでいく。

「―津波ッ!?」
少年が跳ねるように立ちあがった。恐怖で眼が開かれる。
何が起きたのか、砂だけのはずのこの世界で、津波が起きるなんて。
しかし、少年の見る先には確かに巨大な津波があった。どこからこんなものが起きるのかなんて判らないが、確かに在るのだ。
音と映像が少年の脳内で錯乱し、冷汗をかかせる。
「逃げよう!どっか…どこでも、遠くにッ!!」
叫ぶように少年は言った。しかし女の子は、立ち上がりもせずに。
「行けません」―と呟いた。


「なんで!早くしないと波が!!」
もう、波はそこまで迫って来ている。それなのに遅く感じる。速くも感じる。
巨大な青が、全てを飲み込もうと荒れ狂っていた。
まるで怪物のように。
「私が…私がいけないんです。祈りを途中で止めたから…っ!」
女の子の体は、恐怖ではない何かで震え、その瞳からは涙が零れ落ちていた。
まるで何かにすがるように、手を合わせて祈り始める女の子。その口からはただ―

「ごめんなさい」、と。


少年が歯ぎしりする。歯がすれる音は波の音に消えていった。
「でも、早くしないと呑み込まれる…ッ! ねえ!?」
女の子の肩を握る。しかし、女の子は目を開けてさえくれない。
「ねぇ、ねえ!!」
強く揺さぶっても、叫んでも、女の子は祈りを止めない。ただひたすらに謝り続ける。
「私が悪かったんです…貴方に恋をして、貴方と話したくて、祈りを止めてお喋りしてた……私がちゃんとかみさまに祈っていれば、こんな事にはならなかった……!!」
泣いて泣いて、叫びながら女の子は言う。
少年の胸が高鳴る。女の子は僕のことを想っていてくれた。それは本当にうれしい。
でもやっぱり、今はそんなことで一喜一憂している場合ではない。命に関わることなのだ。
女の子に逃げてほしくて、女の子に助かってほしくて、無意識に声にも、女の子の肩を握っている手にも力が入る。また、揺さぶった。
「ねえ!!逃げて、お願いだよ!! ねぇ!!」
「行けません!!ごめんなさい、ごめんなさい!!!」
辛そうな、本当に苦しそうに泣き叫ぶ女の子。
でも今は、それが鬱陶しく思えてしまった。何故そこまでかみさまに執着する?
波は荒れ狂って、星を呑み込んでいく。いずれは少年たちさえも。
その焦りと女の子が動いてくれないことへの苛立ちが積もって、少年に叫ばせてしまった。
絶対に、絶対に、言ってはいけなかった言葉。

重い想い、狂う。

「じゃあッ!! 君は自分とかみさま、どっちが大切なんだよ!!」


全てを波が呑み込んでいった。砂も、少年も、女の子も、家も、水溜りも。
あの、白とも黒とも透明とも言えない空までも。
溢れる水。


言ってはいけなかった。
最後に叫んだあの言葉、それを聞いた女の子は、泣いていた。
少年に顔を向け、笑いながら、泣きながら、泣いていた。
そして、呑まれた。






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