溜息が出た。馬鹿馬鹿しい。
小鳥の命の重みを知ってみたかった。案外軽いものだった。
「あったなぁ、そんなことも」
椅子にもたれかかる。
あの時、確かに小鳥の首を潰したこの右手。
小鳥の断末魔がリフレインする。手に汗が滲んだ。
少女が口を開く。
「本当は私が殺そうと思ってたんだけど、先越されちゃった」
なんて、軽く言う。
こんなことを言っていても、彼女はいたって普通に、綺麗に笑っているのである。
少年は度々その笑顔に見惚れる。決して綺麗ではない瞳が、綺麗に見えるから。
少女はおもむろにポケットを漁った。取り出したのは、一つのナイフ。
痩せ細った小さな手に、余りに丁度良くおさまるそれ。蛍光灯の光を受け、鈍く光った。
その光は少し暗く、刃はどこか濁っているようだった。
つと少女が手を大きく開き、机にぴたりと置いた。
次の瞬間、ナイフが閃いた。
「おい…っ」
少年が止める間もなく、ナイフは恐ろしいほどのスピードで、開いた少女の指の間を突き刺していく。
カカカカと音を立てて机に突き刺さる。かと思えば、もう次の場所を突いている。
ナイフが指に刺さらないかと冷や冷やして、少年はその様子を見ていた。
ナイフが、丁度親指の隣のところで止まった。
少女を見てみると、やはり微笑んでいた。
「ビビらせんなよ…」
呆れたように少年が言う。冷汗で少し寒気がした。
それを聞いて、少女はまるで心外、という顔をした。
ナイフの切っ先が、ゆっくりと少年に向く。
「な、なんだよ」
「怖い?」
即答で少女は言う。
何故か少し赤みがかった少女の瞳に、別の冷汗が出た。
「心配してくれたんだ。優しいね、君」
なんて言う。
心配したのは確かだ。いきなりあんなことされればそれは心配になる。
が、少女の言葉にはそんな単純なものではなく、もっと別の意味がある気がしてならなかった。
無意識に少年は顔を背けていた。
きっとそれは、目の前のナイフが怖いからではない。
もっと怖いモノ―。

「小鳥を殺したの、君でしょ?」


背筋が凍った。
目が見開く。ゆっくりと振り向いたその先には、まだナイフがあった。
小鳥の断末魔が、リフレインする。
「どうだった? 小鳥の死に逝く様は」
最期はろくに声も出せないまま、無惨にも自分の手に首を折られた小鳥。
足掻いた翼。もげた羽。止まる息。
あの時の自分はもういなかった。ここに居るのは、そう。
一羽の、小鳥。
「…なんで知ってる」
恐る恐る少年は訊いた。別に少女に知られたからと言ってどうともないのだが、ナイフのせいだろうか。
少年を恐怖が支配していた。ばれたからではない。ナイフがあるからでもない。
少女の瞳は、少年をみるばかりである。
「知ってるよ、君のことなら何でも」
目が少女を睨みつける。しかし少女は何も変わらない。
少女はナイフを置いた。それを見て、少年は少しだけ落ち着くのを感じた。
「で、どうだった? 小鳥の命の重さ」
少女が問う。答えなければ何も進まない、それは少年にも分かった。
小鳥の姿が浮かぶ。手の中で必死にもがくそれ。
あっけなかった。少し力を入れると、小鳥はすぐに息を絶った。
どうと言われても、答えは一つしかない。
「軽かったよ。思ったよりも、な」
今度は自嘲した。また大きく、諦めにも似た溜息が出る。
少女はふぅん、と少年を見た。
そのか細い腕が、少年へと伸びる。
「小鳥はきっとさ、怖かったはずだよね。今から殺されるんだもん」
痩せた手が少年の頬に触れる。
その手の余りの冷たさに、少年はまた背筋が凍るのを感じた。
視線が合う。少女の瞳は暗く妖しく、少年を見ている。
少年は強がって視線を背けないでいたが、無意識に手ががたがたと震えているのには気が付かなかった。
「どうしたの? 震えてるよ、手」
はっとなって少年は手を意識した。その瞬間は止まったが、次の瞬間からは確かに震えていた。
止めようと思うのに止まらない。指が思うように曲がらなかった。
少女の瞳は、ずっと少年を見ている。
「どうして震えてるの?小鳥を殺した時はこんなじゃなかったのに」
小鳥が死んでいく。それも、自分の手の中、自分の手によって。
それなのに少年は、罪悪感も後悔も感じていなかった。ただ、何かをやった。そんな感じがしただけである。
いや、もう一つある。期待外れに軽かった小鳥の命への、失望。
少年は震えだした唇で言った。
「何が…言いたい」
折角出た言葉も、特に会話を終わらせられそうなものではなかった。少年はもう、冷静を欠いていた。
その上、少女はずっと微笑んでいる。
なんの裏もない、そのままの笑みで。
「ちょっと気になっただけだよ。それに―」
少女は手を少年の頬から離し、ナイフを撫でた。
「なんだか君、いつもと違うんだもん」
少年は急に出たその言葉に、少しだけ救われた。
いつもと違う?俺はいつもどおりのつもりだ。確かに、小鳥を殺したのをこいつが知っていて、動揺はしている。でも、それ以外は別に…
少年は少女を見た。視線はナイフに向いて、優しく微笑んでいる。
「何が違うんだよ」
「う〜ん…分かんない」
呆れて溜息が出る。と同時に、さっきまでの緊張も解けたようだ。
少年はまた、机に突っ伏した。
「はは、なんだよ」
「なんだろうねぇ」
本当に何だったんだと思いつつ、少年はこの会話が終わったことに安堵していた。
が、少女の方は違った。

「小鳥の気分になってみたくない?」
は? と少年が顔を上げると、少女はまたナイフを突き付けていた。
怖かったのは、冗談だという気が一切無かったから。
ナイフの切っ先が、少年の胸元に当たる。
「…小鳥なんて、まっぴらだな」
それを訊いて、少女は初めて声を出して笑った。
綺麗、よりも可愛く。
それでも刃先は胸元に向いたまま動かない。
「よかった、いつもの君だね」
そういって少女は微笑みながら、ナイフを下した。
少年も安心して溜息をついた。
つと時計を見る。急いていた長針が、五を指している。
小鳥も何か、急いていたのだろか。
「小鳥かぁ。じゃあ次は兎?」
惚けたように少女は言う。
呆れて少年は肩をすくめた。どうせその次は猫とかだろう。
「まあほどほどにしとけよ」
そう言うと少女は笑った。
ああ、何かする気だな。少年にはそう思えて仕方がなかった。

それからぼーっとしていたら、チャイムが鳴った。




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