予想通りだ。
少年の机には先客がいた。一人の、細身の少女である。
少年が呆れ顔で教室に入るのと同時にめざとく見つけ、少女はくまの出来た目で微笑みかけた。
少女が広げた荷物の邪魔にならないように、少年は教科書を置いた。
「なんだ?また手品やってんのか」
机の上には、ハンカチやコインなど、いかにも手品を思わせる品が並んでいた。少女がコインの一つを手に取り、それを握る。そしてぱっと手を開くと、手の中のコインは五つになっていた。
上手いもんだなぁ、と少年が感心すると、少女は嬉しげに笑った。
「ね、今日もお弁当作ってきたの。食べて」
少年と少女とは幼馴染である。昔からずっと一緒に居て、一緒に遊んでいた。だから学校の教室の中、男女であるにも関わらずいつも一緒に居ることにこれといった抵抗はない。
それに何故か弁当は少女が作ってくれる。初めのうちは男子友達に冷やかされたりしたが、最近はされなくなり、されても慣れてきたのでどうともない。
そもそも二人はほとんど孤立しているので、友達などではなく、二人が一緒に居るのを面白がってからかってくる馬鹿だ。
少女がおもむろに道具を片づけ、カバンから弁当箱を取り出す。ちょうどいい量の昼食がおさまるそれを机に置き、袋を取る。
「どうぞ」
蓋を開け、箸を手渡す。少年はそれを受け取り、目の前の弁当を見やった。
いつ見ても丁寧に作ってあると思う。見れば思わず手を出したくなるような弁当だった。
「毎日毎日ご苦労だな。さんきゅ」
少年は手を合わせた。それは決して弁当に使われた命ではなく、これを作った少女に対するものである。
命がいくら人のために消えようとも、犬死でないのならそれは感謝すべきことでもなんでもない。
弱肉強食。生き残りたければ、命を奪い、肉を剥ぎ、喰らうまでである。それが出来ない弱者は、大人しく強者に喰われるしかない。
しかし、その強者も肉を喰らわなければ生きていけない。弱者の血肉がなければ死ぬのである。強者はいかに力と威厳をもっていようが、弱者に生かされていると言っても過言ではない。
それが連鎖というものだ。そして人間は、もはや連鎖の頂点に立っていると言ってもいいかもしれない。
箸が卵焼きを捕らえる。
ちょうどよく味付けされ、綺麗に色づいたそれは、少年の口の中でありったけの美味となった。
行儀が悪いとは思いながらも、箸が動き回るのは止められなかった。
「いつ食っても上手いなぁ」
「ありがと」
少女が嬉しそうに微笑む。
つと少年が横を見てみると、少女は笑ってこちらを見ていた。微笑み返してまた弁当へ視線を戻す。
が、またすぐに少女を見た。そういえば、だ。
「お前は飯食わないのか?」
訊いてみる。少女は昼食を食べるのが不定期だった。食べない日があったり、何日も続けて食べたり。
だからこれと言って気になる訳でもないのだが、ふと気になったのである。もし少年の弁当を作るのに手いっぱいで自分の弁当が作れなかった、などということであれば、少年には罪悪感が残る。
それを確かめるため。
しかし少女は微笑むばかりで、何とも言わなかった。
答えは言わず、
「美味しい?」
などと聞いてくる。
答えが返ってこなかったのは少し不服だったが、美味しいものは人を幸せにするというのはまさにそうなのか。腹も立たず、少年は「ああ」と返した。
その頃にはもう、弁当箱は空になっていた。
「ごちそーさまです」
少年は気だるく満足げに言い、弁当箱を片づけ始める。
その手に、小さな、痩せた手が重なった。
少年が横を見る。目の前にはくまの出来た、お世辞にも「綺麗」とは言えない瞳があった。
「いいよ、私が片付けるから」
そう言って、少女はてきぱきと弁当箱を片した。カバンへと戻す。
また微笑むばかりの少女にもう一度「美味かったぜ」と呟き、少年は力なく机に突っ伏した。
美味しいものを食べた。そして窓際の席、よく日が当たるときた。
学生には睡魔が常に襲う。そして睡魔の力が高ぶるのがこの昼休憩である。美味しいものを食べて、よく日が当たる席で、午前の疲れが体に降りかかる。
机に体をすべて任せて、このまま寝てしまいたかった。
横に少女が居るのも気にせずに、少年はうとうとと睡魔に誘われて行く。
が、直後目が見開いた。

――。
少年は飛び上り…そうになったが、驚いたままで終わっておいた。
机に突っ伏した自分の頭を、少女が優しく撫でている。その様はまるで、昼寝する子供をあやす母のようにも見えた。
おまけに、小声ではあるが子守唄まで歌っている。
たまらなく恥ずかしくなって周りが気にもなったが、どうせ顔をあげなければそれは見えないし、何よりも動くに動けなかった。
少女の愛撫と歌は余りに優しく、少年を包み込んでいった。
「ねぇ、校舎の裏で鳥が死んでたの、知ってる?」
唐突に歌声が消える。
閉じかけていた目が開き、少年は顔を上げた。同時に少女の手が下ろされる。
少年は記憶を漁る。興味も無かったので大して覚えてはいない。
先日、校舎の裏で小鳥が死んでいた事件。無惨にも既に蟻にたかられて翼の肉は消え、他の部分も腐食の色が出始めていた。野次馬が集まるのを嫌そうに避けて、少年は気にも留めずに教室へと戻った。
結局死因も何も分からずじまいのまま終わった。
何人かが小鳥の墓を中庭に作って埋めたが、どうせ偽善者だろうと少年は笑っていた。
その時感傷的になって悲しそうにしていた奴らも、今はどうせ馬鹿みたいに笑っているのだから。
命の本当の重みなど、分からないのは分かっている。
だが、それを知ろうともしない奴らが命が失くなるのを悲観で見ているのが、少年にはとても厭らしく醜く、汚く見えたのである。

―小鳥を殺したのは、少年だった。




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