ピックを動かすたび、鋭いような情けないような音が鳴る。
幾度か感覚を確かめ満足すると、黒はギターを肩に下げたまま、また別のフレーズを弾き始めた。
小さな手で何とか弦を押さえていく。その指には、絆創膏が何枚も貼ってあった。
音は途切れ途切れに繋がり、なんとか形になっていく。
あるいはどうなのだろうか、しかしお世辞にも上手、と言えるプレイングではない。弾き繋ぐメロディも、評価するには全く足りないだろう。
ただ、その小さな体を揺り動かしながらにギターを弾く黒の姿は、真剣だった。
あどけない瞳でもおどけた声でも、黒は今、音楽を創っている。
「―♪」
何処とも知れないライブハウス。その一室で、黒は何度もギターを弾いていた。
繋がれたアンプは、黒が腕を動かすたびに、連動して音を発した。
熱のこもった部屋で、汗が溢れるように出てくる。時折首を振ってそれを払いながら、黒はまたギターを掻き鳴らしていく。
響く音、浮かぶメロディ。
「…ふふっ」
そんな黒を見ていた白が、無表情に見つめていた楽譜を置いた。そうして、部屋の隅に投げ捨てるようにして置いてあったベースを肩に下げる。
馴れた手つきで弦を弾くと、低い音が部屋に響いた。
それも気にせずに、黒は一心不乱にギターを弾いている。度々メロディを確かめながら、白は黒の演奏に重ねてベースを弾いていった。
やがてそれは、一つの音楽になっていく。


黒が紡ぐ、不思議なメロディ。
それを繋ぎ響かせる、白のベース。
吐き出した歌声はやがて響き、誰かの元へと飛んでいく。
腕を振って、体を揺らして、声を張り上げて。
飛び散る汗のその光に映る、想い。
何故奏でるのか? 何故唄うのか? 何故描くのか?
いや、そんなことはどうでもいい。
二人は今、音楽を奏で、唄い、描いている。


演奏の余韻が部屋を包んだ。
ギターの弦は未だ少し震えている。白は一息ついて、ベースを肩から下ろした。
黒の方を見る。肩を上下させて荒くなった呼吸を整えながら、黒はギターを見つめていた。
ふと満足げに微笑む。
「…こんな感じかな?」
そう呟いてしゃがみこむ黒。ギターも下ろさずに、そのまま転がしてあったペンを取って、また楽譜に何かを書き込んでいく。
楽譜と向き合っている黒の顔は、俯いているとはいえ楽しそうなのがよく分かった。
白は一つあくびをして、そんな黒を見つめていた。
「……」
ぶつぶつ何かを言い、時折頭を傾げたりしながら、楽譜に文字を書き込んでいく黒。
白は先の演奏で十分満足しているのだが、どうやら黒はそうではないらしい。
することもないので、白はまたベースを肩に提げた。頭の中でフレーズを確認しながら、淡々と音を鳴らせる。
白はベースを弾きながら、何となく考えていた。
私は何故、ベースを弾いているのだろう? と。

例えばそこに暇潰し、という理由を入れてみよう。
しかしそれだと、このベースの存在意義に反することになる。ベースは私の暇潰しの為の道具ではない。
ではベースの存在意義とは?
それは演奏すること。奏でること。
確かに私は今ベースで演奏している。これはベースの存在意義に沿っている。が、それでは私がベースを弾いている理由―つまり奏でている理由にはならない。
では私が今演奏している理由は何か? 
指がまた別のフレーズを弾き、また次の音へ繋げていく。
その間も白はずっと、それを考えていた。
そしてすっと、ベースを下した。
考えてみれば明確な理由なんて、どこにも見つからない。
ベースの存在意義には合っている。私の暇潰しにもなる。しかし、私が弾く理由がない。
だから白はベースを弾くのを止めた。



それから何分か経ったが、黒はまだ楽譜と向き合って唸っていた。
経った時間や黒が書き込んでいる位置から推測すると、もう殆ど出来上がっている筈だ。最後の部分をどう終わらせるか悩んでいるのだろう。
白はそんな黒をずっと見つめていた。
愛しい黒。優しい黒。可愛い黒。嫌いな黒。
退屈などは有り得ない。ベースなんかを弾いてるよりも、ずっと楽しい。
白が見つめるその先で、黒は額にペンを当てながら唸っている。と思ったらペンの先を少し噛んだり、顎に当ててみたり、指先でくるくる回したり、随分悩んでいるようだった。
ふと白は黒に違和感を覚えた。
「……あ」
違和感の原因はすぐに見つかった。黒の髪が、少し伸びていたのである。だからどうする事もないのだが、白はまた嬉しそうに微笑んだ。
ふと、黒が弾けたようにペンを動かした。ペン先と紙の擦れる音が、無音の部屋に響き渡る。
数秒間その音楽が続いて、黒は顔を上げて立ち上がった。
楽譜を見下ろしながら、満面の笑みを浮かべている。
「出来たのね」
そう呟いて、白も立ち上がった。
何を書いていたのか気になって歩み寄ると、黒は楽譜を持って駆け出して行ってしまった。
一瞬微笑んでから、黒は部屋を出て行く。
取り残された白は少しの間呆然としていたが、一つ溜息をついて、またベースを肩に提げた。そうして、黒の後を追う。
黒が走って行った方は―ライブ会場だ。
「さて、と」
一息ついてから、白も部屋を後にした。





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