「ねぇ」

声をかけられた。それだけの理由で、少女は振り向いた。
その声は酷く幼く、どこか寂しい感じをまとっている。
声の主はその声に違わず幼い外見の女の子で、垂れた瞳で少女を見た。いや、語弊がある。
女の子が見たのは少女ではなく、少女の右腕だった。
視線が自分の顔ではなく右腕に向いているのに気がついて、少女はやっとわかった。
この女の子には、右腕が無かった。

「なぁに?」
少女はしゃがんで目線を合わせ、優しく言った。引き止めたのだとしたら、何か自分に言いたいことがあるのだろう。
それを聞かなければどうにもならない。だから少女は、自分より年下に見える女の子に、いつも年下の子に話しかけるような感覚で聞いてみたのである。
しかし女の子は答えず、左腕をちょいちょいと揺らすだけだった。
余計に何か言いたげな感じがする。
「どうしたのかな?何か用があるの?」
さらに聞いてみる。
目を合わせられて女の子は恥ずかしくなったのか、少し俯いてしまった。
まだ綺麗にある左腕が、よく似合う真白なワンピースの裾を掴む。もじもじとして何か言いたそうなのだが、もしかしたら言いにくいことなのかも知れない。
そう思って、少女は出来るだけ優しく言った。
「大丈夫。ほら、どうしたの?」
やっと安心したのか決心がついたのか、女の子は顔を上げた。
少し赤らんだ顔で少女を見上げる。少女も安心して、つい女の子の頭を撫でてしまった。可愛くて、妹みたいに思えてくる。
女の子が驚いているのに気がついて、少女は慌てて手を戻した。
「あははは、ごめんね」
「…うん」
女の子は自分の右腕があったであろう部分を見た。そして、視線をたったいま自分の頭を撫でていた少女の右腕へと移した。
少女の年相応に育ったその腕。
「あのね、お願いがあるの」
女の子が言う。
「なに?何でも言ってよ、私が何でもしてあげる」
少女は自信満々に答えた。
その台詞と笑顔が重なって、少女にありったけの期待をもたせてしまったことに、少女は気がつかなかった。むしろ、自分は得意満面でいたのである。
だから、少女は言った。


「お姉ちゃんの右腕、ちょうだい」



少女は固まってしまった。今頃に期待させたことへの後悔が重くのしかかってくる。
女の子には確かに右腕がない。だが、それをちょうだいと言うなんて、少女の概念や経験では皆目見当が付かなかったのである。
自分の周りには、ちゃんと四肢がそろった者しかいない。だから、右腕がないことなんか到底考えられることではなかった。
もしかしたら、自分は初めてこの女の子に振り向いたとき、とてつもなく醜い目で女の子を見ていたのかもしれない。
少女にはもう、苦笑いするしか術がなかった。
「ごめんね、腕はあげられないんだ」
少女は女の子の表情をうかがいながら、必死に笑みを見せた。
しかし女の子は俯いたまま、黙り込んでいる。
「ごめんね…」
慰めようと出した右腕を少女はハッとなって戻そうとした。
が、その腕は戻らなかった。
「うそつき」


冷汗が溢れた。
少女の右腕を、女の子の左腕が捕まえる。
「うそつきだ。なんでもしてくれるっていったのに」
想像もつかない力が少女の右腕を捕まえている。いや、単に少女が力を入れられないだけかもしれない。
女の子は顔をあげ、目を見開いて少女を見た。
目が合って怯えたのは、今度は少女の方だった。
「うそつきはしんじゃうんだよ。しにがみにころされちゃうんだよ」
少女の右腕、いや全身の震えが、女の子にも伝わるほどになる。
女の子の声が脳内で響き渡る。消えない、消そうとするのだがどうしても消えない。
目を見ていると狂ってしまいそうなのに、目が離れなかった。
「ねぇ、わたしみぎうでがなくてさみしいの。みぎうでがほしいの」
女の子の左腕が少女の右腕を引いた。


「うわぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!!」
少女は全力で女の子の腕を振り切り、背を向けて走り出した。
息が切れても止まらなかった。自分の足音が響くのが女の子に追われているように思えてきて、気が気ではなくなる。振り向いてはいけない、本能がそう叫んでいた。
もはや少女の目は景色を正確に捕えていなかった。真っ白と、その中で女の子が左腕を伸ばしてくる。それしか見えなかった。
「はぁッ…はっ」
走り続けた少女。

最後に見えたのは、死神と、汚い赤だった。