私は今、空を泳いでいる。
先ほどよりもさらに窮屈ではあるし、やたらと揺れるのだが、何分景色が常に変わるのである。
席としてはいいが、どうも環境が悪い。力が入らない。
少女の手には小さなビニールの袋。その中にこぼれない程度の水と、金魚がいる。
少女は優しく微笑んで、ちょうちんの明りにそれをかざした。金魚の体が、その名の通りに金に輝く。
「お名前、なんにしようかな」
酷く幼く少女は言った。金魚は温かい光の中を、またくるりと翻った。しかし先ほどまでの元気はなく、力なく、言うならばふらりと回ったようである。
少女はまた腰のあたりへと手を下し、なるべく揺らさないようにして歩いた。
人が増えている。明かりも音も増え、金魚は結局、どっちを見ても同じ景色を見る羽目になった。
少女はあふれる人の中を危なっかしくもすり抜けてゆく。
「あれ?どっちだろう」
辺りを見回す少女。だが見えるのは人の足腰だけで、あとは微かに人の合間に屋台が見える程度だった。
どうやら少女はどこかで待ち合わせをしているらしい。金魚はただ少女が歩くのにつれて変わる景色を楽しんでいた。
少女は泣き面になってきたようだ。
「…おかあさんどこ?」
不安な少女の気持ちが、震えとなって金魚にも伝わった。
体を小刻みに震わせ、少女はまた歩き出した。縫っても縫ってもふさがらぬ人の波を、当てもなくすり抜けてゆく。
「少女よ、出逢えると良いな」
金魚はそう呟いた。しかし少女にはもはや金魚を心配する余裕は無く、今にも泣き出しそうな顔でただ終わらない波をくぐり続けた。
金魚は揺れ動く水の中、夢想した。
空にはまばゆい花が咲く。水には我らが泳ぐ。
星よ、眠れずともかまわない。ただもう一度だけ、あの場所で泳がせてはくれないか。
ああ空よ。私を受け入れてはくれないか。私をすくってはくれないか。
さあ、私は空へと泳ぎに行こう。


ようやく、波が消えた。
その先に居た母親を見つけ、少女は駆け寄った。
「おかあさん」
少女の手には、確かにビニールの袋があった。だが、そこにはもう金魚はいなかった。
母親が心配そうに娘を抱きしめるのを、金魚は空から、微笑ましく見ていた。
最期、金魚は嬉しそうに翻った。
「少女よ、良かったな」
金魚はそう呟いて、とうとう空へと泳いで行った。


「ねぇ見て。お兄さんがね、金魚をくれたの」
誇らしげに少女が掲げて見せたビニールの袋。水が揺れる。
しかし、その中にあるものは動いていなかった。
少女は首をかしげた。
「金魚さん?」
角度を変えて見てみるのだが、やはり動かない。つついても反応はない。
どうしたものかと考える少女の頭を、そっと撫でた。
母親は、少女を抱きよせて優しく言った。

金魚さんはね、今お空を泳いでいるのよ、と。

少女は空を見上げた。星が瞬いて、夜空を飾っている。
金魚は、星の間を泳いで行った。


星よ、瞬いていてくれないか。花よ、枯れないでいてくれないか。
空よ、受け入れてくれないか。娘よ、微笑んでいてくれないか。
金魚はただ、願うばかりである。


星が流れたのが、金魚にも見えただろうか。