―君を見て嗚咽を漏らす。










唐突に、真横の真白が口を押さえた。
その真白は肩甲骨のあたりまで伸ばした髪も纏うワンピースも肌も、全て真白だった。
ただ、今は辛そうに閉じている瞳だけが血のように鮮やかな赤色を携えていた。
真白な少女は、自分を見つめる真黒な瞳に気が付いて、平気な振りをして微笑んで見せる。
「どうしたの?」
真黒な少女は白の笑顔を見て逆に不安になり、そう問う。
その少女は白とは対照的に、全身が真黒だった。肌だけが、抗うように白い。
白はやはり平気な振りをして手を軽く振った。
「大丈夫よ」
そう言っても、黒は心配そうに見つめてくる。
「…少し吐き気がしただけ」
言って、白は深呼吸する。幾分か楽になった。
さっきから頭痛もしているが、全くなんなんだろう。
熱もないし咳もない。風邪ではないと思うし、まして他の病気と言う訳でもないと思う。
しかし先程襲ってきた吐き気は、ちょっとしたものではなかった気がする。
小さく息を吐きながら見上げると、絵に描いたような空が広がっていた。
雲が一つ二つ、誇らしげに流れている。その下を、小鳥が飛んでいく。
涼しい風が一つ吹いて、二人の髪と足首まで隠す長いワンピースを揺らした。悠々と広がる草原が、さぁさぁと静かな音を立てる。
果てには、真赤な海が見えた。

「…ふぅ」
ようやく吐き気が落ち着く。
一体どうしたのだろう。この間は黒が頭痛になったから、次は私の番と言う訳だろうか。
それにしても吐き気は酷くないだろうか?
我慢するには辛いものがある。ずっと我慢していれば、頭痛だって誘発してくる。かといって簡単に吐き出してしまえば、隣にいる黒に痴態を晒すことになる。
気が付けば体が気だるい。立っているのが辛くなってきた。
ふと見ると、黒はどこか遠くの空を眺めて、ぼーっと頬を染めていた。
「ねぇ白ちゃん」
黒が唐突に口を開いた。
幼さの残るその声は、風と一緒に二人の間を吹き抜けていく。
「まだ吐き気する?」
「…少し落ち着いたわ」
黒は白の方に向いて、しかしすぐに空に視線を戻した。
「そう」
零すように呟いて、黒は目を閉じる。
ふと見れば、黒はその小さな手を強く握っていた。
「ときどきね、おもうんだけど」
また風が吹いて、二人の肌を寂しそうに撫でる。
「白ちゃん、私のこときらいなのかなって」
黒は白に背を向けて、視線を空に上げた。寂しそうに細めた瞳には、何も映らない。
白は少し震える手で、黒に触れようと手を伸ばす。
ちょうど白の手が黒の髪に触れる手前、黒が口を開いた。
白の手が止まる。
「今だってそう。私といっしょにいるから吐き気したのかな」
あとほんの数センチメートルの先にある髪に、指が届かない。
初めて訊く黒の声に、白は戸惑っていた。
黒の頬に小さな水滴が線を描いていたのは、白には見えなかった。
「ときどきふあんになるんだよ。白ちゃんが私のこときらってるのかもって。だってね?」
触れられずに居た白に、黒が振り向く。

「私もときどき、白ちゃんのこと大嫌いになるの」



さぁ、と風が吹く。
白の手は、いつの間にか力なく垂れていた。
「…そう」
呟いて、白は目を瞑る。
しかし次の瞬間には見開いて、黒の首を強く掴んでいた。
共倒れになる。白は黒に覆い被さるように四つん這いになった。
黒の目から、痛みに依る涙が零れる。
白は無我夢中で、訳も分からずにただ湧きあがった感情に任せて、指に力を入れる。
何処かで抵抗する自分が居るのに。
「私の事が嫌いな黒ちゃんなんてっ……いらない…っ」
言った直後、白は跳ねるように腕を振った。
ようやく理性が戻ってきて、腕に融通が利く。
怯えて見開いた目で見れば、自分の足元で息苦しさに咳きこむ黒が居た。
私は何をしていたのだろう――
「はぁっ…はっ」
黒がゆっくりと膝をつき、白のワンピースにしがみつく。
白はただ漠然とそれを見るしか出来なかった。
自分の手が腕が、これほどまでに憎いと思った事はない。
黒が落ち着かない呼吸で言う。
「ときどき…白ちゃんのこと…きらいに…なるの」
咳こむ黒。
白の殺意は、黒の声を聞いて恐怖に変わっていった。
「そんな…私がね? すっごくいやだよ……」
あぁ、私は本当に馬鹿だった。
こんな下らない想いの所為で、こんな下らない想いの所為で、悔しくて、怖くて、愛しくなるなんて。
「私…白ちゃんのこと、大好きなのに」
白の喉に、吐き気が襲った。



「おぇ……えぇ」
草原に、悪臭と汚物が零れ落ちる。
口を押さえた筈の手のひらは、真赤だった。
そうだ。吐き気がしてたんだった。忘れてた。
吐き気がしてた。
「はー…っ はぁ」
呼吸を落ち着かせてみても、不快感は消えない。それどころか、視界に飛び込んでくる赤色と鼻を突く匂いの所為で、余計に気分が悪くなる。
横目に見ると、心配そうにしゃがんで、背中をさすってくれる黒が居た。
それだけで、忘れられるほどに楽になる気がする。
「ねぇ黒ちゃん」
かすれながら言うと、黒の手が止まった。
「私の事、好き?」
黒の手が、優しく背中を撫でる。
白が見上げると、照れくさそうに笑う黒が居た。
「うん、大好き」


吐き気はまだ残ったまま。








多分翌日。
「昨日の吐き気何だったのかしら」
「よっちゃった?」
「何にも乗ってないわ」
「きのうはいっぱい好きって言っちゃった」
「恥ずかしかったわね…私が吐いた後も何度も何度も言って」
「だってすきだもん」
「じゃあ今日もいっぱい言いましょうね」

彼女の頭痛の二の舞のお話。