―枯れ逝きて散り逝きて。綺麗な花を咲かせませう。












花と言えば綺麗なイメージがある。
美しい女性に譬えられたり、良い香りを漂わせたり、花弁が美しかったり。
もちろん、少女の家、部屋にも幾らかの植木鉢があり、花瓶があり、家の中を綺麗に飾っている。
少女は花が大好きだ。手入れを怠ったことなど一度もない。声も掛けてやる。第一に自分と考えても、第三には花を持ってくるほどに好きだった。
可愛い花、美しい花、奇抜な花、変わった花。良い香りの花に、臭い花。小さい花、大きい花。
花は心を落ち着かせてくれる。
少女は、花が大好きなのだ。
それなのに今少女の目には、無残に枯れた向日葵が群を成して映っていた。



「身勝手だ。花に何の罪があるの」
「……死んでしまうくらいの知恵熱を出すほど考えても花に罪はないだろうね」
隣に立つ少年が、憤りを隠せない少女の声に答える。
夏の暑い日差しが二人を照りつける。学生服はそれでなくても暑く、加えてまだ朝の八時だと言うのに太陽が無駄に元気な所為で、二人の体温は上がりっぱなしだ。
しかし、その体温上昇を抑えようとして溢れ出す気持の悪い汗さえ、今は何の気にもならない。
目の前で、大好きな花が無残に死んでいるのだから。
「…どういうこと?」
少女の声は震えている。
想像上で家族を殺されることよりも「怒り」を感じていた。
少年が額の汗を手の甲で拭い、花壇の前へしゃがむ。少年が健康な高校男子にしては細い指で、枯れた向日葵の固い花びらに触れた。
「日を向く葵、なのにねぇ。皮肉だよ」
「太陽は…こんな汚い土に落ちたの?」
少女の台詞に、少年が花壇の熱された土を手にすくう。素人目でも解った。
肥えていない。市販の肥料を適当に撒いて、手入れも何もしていないのだろう。この花壇を造り、花を植える企画をしたのは生徒会と教育指導等の教師たちである。しかし、そいつらが真面目に手入れしていることなど見たことが無い。
時間的に見ないのかも知れないが、少年も少女も朝学校に来るのは早い。今日は夏休み中の登校日だが、それでもほぼ一番乗りで学校に来ていた。
花の手入れをするのは朝か夕方だろう。特に水やりはそうだ。だとしたら、朝は登校する時に一度くらい見かけてもいいはずだし、夕方は下校時にこちらも一度くらいは見られるはず。それなのに、この花たちの世話をしているところを見たことはない。
つまりこの花たちは、植えるだけ植えられて捨てられたということになる。
少女は爪をきちんと短く切っている。それでも掌の皮膚に食いこんで血が出そうなほど、少女は手を強く握っていた。

「何故なの。何故この花たちは死ななければならなかったの?」
少女の目に後悔の色が浮かぶ。
自分はただでさえ避けられている。
「根暗」とか「気味が悪い」とか「無愛想」とか言われて。
それを言われるのが辛かった。嫌だった。嫌だと言う意思表示をすればいい。でもそんな勇気は少女にはなかった。
だから好きだった花を育てることに一所懸命だった。花を見ていると優しい気持ちになれた。
そう。ただでさえ忌み嫌われている自分が勝手に花壇の手入れなんてしていたら、何か言われるかもしれない。それが怖かった。変な目、冷たい目で見られるかもしれない。それが怖かった。
何よりも。自分が虐められ、傷つくのは構わないけれど、もし私が花壇の手入れをしているのを見て、もし花壇が荒らされでもしたら、と思うと怖くて怖くてどうしようもなかった。
それに、教師も含めて生徒会の企画だ。夏休みに入って花壇の花たちの調子が見られなくても、きっと生徒会の人たちや教師が手入れしてくれていると思っていた。
それなのに。
夏休み。八月四日。夏季休暇中の登校日。
足早に来てみたら、花が枯れていた。
どうして私は、花から目を離したのだろう。どうして私は、花壇の手入れをしてやらなかったのだろう。
夏休みでも関係ない。学校に来て花壇の様子を見ればよかった。人の目も関係ない。どうせ死んでしまうのなら、荒らされないことに賭けて手入れをしていればよかった。
どうして。どうして。
「……この子たちに罪はないわ」
少女の言葉は、鎖に繋がれているかのように重い。
「寧ろ罰せられるべきは人間。勝手に花を植えて無下に枯らすなんて、それは人を殺すこととなんら変わりはないじゃないの」
少年は手を合わせて、向日葵に祈祷している。
線香代わりに死んだ土に煙草を指して、ライターで火を付けて。
「可哀想な奴らだ。何より、辛かったろうな」
少年は瞑っていた目を開け、手を離した。そうして、ゆっくりと煙草を土から抜く。
「俺も辛い」
何をするのかと思いきや、少女の足もとにしゃがみ込んだ少年はまだ熱い煙草の火を、自分の露出した肌へと押しつけた。少年が痛みに顔を歪めるが、しかし決して声を上げることも弱音を吐くこともなかった。
数秒間して煙草を離す。生々しい火傷の跡が腕に残っていた。
「これで…痛みが分け合えたらいいんだけどなぁ」
少年は吸殻捨てに煙草を放り込み、少女を見上げる。少年はしゃがみ込んでいるが、少女はスカートを折って短くするなどと言う馬鹿げたことはやっていないので、別に下着が見えたりはしない。
少年の目に、酷く俯いた少女の悲しげな顔が映った。
「……あんたが、生徒会委員だったら良かったのに」
少女の顔に、絶望と後悔とが混じる。
涙すら出ない。
「俺に出来るワケないだろ。こんなんだし」
腕にはブレスレット。耳にはピアス。煙草も吸うし、シャツは出しっ放し。髪も整髪剤を使用している。成績もよくないし、態度も悪い。
そんな少年と少女はよく一緒に居る。それもあって少女は避けられることが多い。
確かに少年は見た目は最悪だ。初対面の人からのイメージは最悪だろう。
しかし、少女だけは知っていた。彼が、本当はとても心の優しい人間だと。おそらく、少女が知っている家族以外の人間すべてと比べたとしても、彼が一番だろう。
人の痛みを自分が受けようとする。それもただ受ける訳――つまり甘やかすことは無く、痛みや苦しみを分かち合おうとする。それを滅多に人に見せない所為で、彼は良く思われることがないのだ。
ただ何故か少女の前ではその姿を見せる。今も、花の為に自虐を躊躇わなかった。
そんな彼と、猫被って表ではへらへらしてる奴や、ただかっこつけて女にモテたいだけの奴等なんかと比べて欲しくない。
花の次に何が好きかと聞かれたら、少女は直ぐにでも「彼」だと言うのに。

「あんたのこと、好きなのよ?」
「そう? サンキュー」
「本気よ」
「え…あ。お、おう」
汗が垂れて、土に落ちた。
そう思っていたのに、落ちたのは涙だった。
「あんたに…世話、してほしかったの」
枯れた花は戻らない。
蝉が空気も読まずに鳴いている。余計に暑い気がする。
もし、自分と彼とで世話してやれていたら。そう思うと、悔しくて耐えられない。
「私にはっ…ぐす…出来ないっ…ひぐ…からぁ……」
救ってやれない。助けてやれなかった。
そんな非力な自分が悔しくて惨めで。
手で顔を覆っても、溢れ出す涙は零れ落ちて土に染み込んでいく。
「……すまん」
日に向く葵。
元気に育っていれば今頃、二人の身長を追い越す勢いで成長して、あの熱い太陽と笑い合っていただろう。
元気で寛大で優しく、力強い。そんな憧れを持っていた。
目の前の枯れた花びらには、憧れの面影なんて欠片も無い。
八月生まれの人を、自分勝手に妬んだ事もあった。
「何にも…してあげられなかった……」
しゃがみ込んで、手を合わせる少女。
少年のブレスレットを数珠代わりに、煙草を線香代わりにして。
向日葵へ。
どうか、生まれ変わったら綺麗に咲けますよう。
もう二度とこんなことにはならないよう。
少女の瞳に、もう一度涙が浮かんだ。


向日葵の死は誰の気にも止まらず、今日の修業の平和学習が始まった。