04鎖 「細い手首と繋がれた金属」

―わりと、暢気だ。








音は、ない。
見渡す限りには錆びれたコンテナが積んであるだけで、他には鉄筋やよく解らないが、いろいろと積んであった。
上の方で連なっている窓ガラスから、優しいとは言えない月明かりが入り込む。閉め切っている所為か、少女は少し蒸し暑く感じた。いや、それよりも痛覚が優先する。
両腕を力なく上げ、微かに届く光にかざす。ジャラ、と音を立てて両腕を縛る金属が擦れた。
重い。少女はすぐに腕を下ろす。諦めた様に溜息を吐いて足を見ると、両足にも枷が付いている。鎖が伸びて、その先にはとても少女には引いて動かせない重量の重石があった。
体育座りで、ぼーっと暗い空間を眺める。そろそろ目が慣れてきて、物がよく見えるようになってきた。しかし大していい物は見つからない。
何処かの廃倉庫だろうか。場所の見当はいまいち付かなかったが、まあどうでもいい。場所が解ったところでどうしようもない。携帯は持ってないし、枷は外せないし。
覚えているのは、つい一昨日くらいまでは普通に暮らしていたということくらい。いつの間にかこんなことになってしまっている。
なんか、誘拐っぽかったから。もうちょい派手に抵抗すれば良かったかなぁ。

しかし、割といいものである。
好きな本を読んだりテレビを見たりは出来ないが、布団は用意されて丁寧に敷かれている。掛け布団も、枕もだ。クッションがいくつもあって、固いコンテナや鉄筋に背を預ける時に便利。水は2リットルペットボトルが何本もあって困らない。ジュースとかお茶もある。ゴミ袋がちゃんと用意されていて、ゴミが散らばったり、汚臭を感じることもあんまりない。小さいがテーブルもあり、地べたで食べることもない。食事とトイレの時は、両腕を縛る鎖も外してくれるし。
快適と言えば快適、だった。暴力を振るわれた訳でもないし、性的なことをされた訳でもない。
きっと私を誘拐した人は几帳面で優しい人なんだろう。でもそうだとしたら、どうして誘拐なんかしたんだろうか。
考えるのも面倒というか、頭が回らない。
でも、手首の鎖が擦れて響く音と、手首に付いた締め付け跡。そこから伝わる痛覚は頭が理解する。脚枷も擦れて痛いが、動かさなければいい。
痛いのを解りつつも、少女は手首を動かして鎖を揺らした。じゃらじゃらと音がするだけで、特に何も。
今頃、外はどうなっているんだろう。
捜索願とか、出されてるんだろうか。誰か心配してくれてるんだろうか。
そんなことよりも、読みかけの本があるからそれを読みたいのだけれど。
誘拐犯さん。彼が帰ってくるまで、ちょっと暇だ。

逃げる、のは思いつかなかった。
それよりも、この状況をプラスに考えていた。
これは非日常だ。多分大方の人間が経験し得ないだろう日常。少なくとも、私が知る中で誘拐の被害者になった人間は一人もいない。つまり、私が知る範囲内の中で、私だけがこの経験をしていることになる。
自分だけ。自分唯一の経験。ちょっとした優越感。
それに、退屈な学校にも行かなくていい。学校に行ったって、意味もなく時間が過ぎていくだけ。
そう考えると、鎖にも愛着が湧いてきた。これのおかげで逃げられない。私を、非日常に強く固く繋ぎとめてくれる。
合法的かつ合理的に日常からの脱出。
あぁでもやっぱり、読みかけの本は読ませて欲しい。次誘拐犯さんが買い物に行く時、ついでに頼んでみようか。
あの本買ってきて、って頼んだら、どんな顔するだろう。


ぼーっと倒れて横になっていたら、物音と共に、一人分の足音が近付いてきた。
少女はそれを聞いてゆっくりと起き上がる。鎖がいちいち重く、擦れて音を立て、痛い。
外を警戒しながら、少女と彼の生活空間があるコンテナの陰へ、一人の男が入ってきた。手に持ったビニール袋を置くと、自分の布団の上に座った。
袋を漁り、手に取ったものを少女に差し出す。
「はい。これでいいのか?」
男は三十路過ぎくらいの外見で、それに見合った低い声で言った。
対する少女は十四歳。こうしていると、親子にも見える光景だった。
「うん。ありがとう」
少女はコンビニのおむすびを二つ、受け取る。ツナマヨとたらこ。
「変な組み合わせだな」
「そうかな?」
少女は急かすように腕を突き出したまま揺らす。男が少し寂しそうな表情になって、ポケットから鍵を取り出し、鎖を留めている錠を開けた。鎖が緩み、少女の跡のついた細い腕がするりと抜ける。
男が鎖を横に置くのを横目に、少女は早速、と言った風に封を開けていく。外装をさっさと剥がし、おむすびに齧りつく。ツナマヨ。
「美味いか?」
男の問いに、少女は口の中の米を急いで噛み、飲み込む。
口の中に物を入れたまま喋るのは行儀が悪い。こういう時だけ、無駄に律儀だ。
「うん。美味しい」
少女の答えを聞いて、男の表情が優しくなる。
「あ、そうだ」
もう最後の一口になってしまったおむすびを口の前で止め、少女が言う。
「私ね、読みかけだった本があるの。「空のうた。」っていう本。それを買ってきて欲しいの」
「「空のうた。」………」
「そう。すっごく読みたいの。だめ?」
おむすびを手に持ったまま男を見つめる少女。男は目を逸らして、少し迷うように唸った。
少女と視線を合わせ、微笑む。
「ああ解った。明日にでも買ってこよう」
「本当?」
「本当本当。お前はいい子だから」
「ありがとう、おじさん!」
少女は嬉々として最後の一口を頬張った。
男は、寂しそうに笑う。
「ごめんな、こんなことをしてしまって。家族や友達に逢いたいだろう?」
「ううん、別にいい。おじさん良い人だから」
「そうか…ありがとう」

男の頬を、涙が伝った。
「なんで泣くの?」
「お前が、本当に…優しくて、いい子だからだよ」
「だったら、お願い。泣かないで」
少女の跡のある手首、その先の指先が男に触れる。
「男の人が泣くと、かっこ悪いよ」
「…ああ」
男が、袖で涙を拭った。



後日男は自首し、少女は無事に保護された。
ただ二つ、鎖の跡と「空のうた。」を少女に残して。